台風19号の被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます

21代春日山親方はなぜ部屋を閉鎖することになってしまったのか

不祥事・ごたごた

年寄名跡証書の提出ができてない上に稽古場に顔も出さず師匠として不適格と協会から勧告されてしまった元濱錦の春日山親方。

勧告を受けて部屋もち親方を辞めることを了承したために春日山部屋が消滅してしまうというえらいことに加えて、所属の力士23人中12人が引退届けを提出するという異常事態を招きました。

※これは旧サイトからの転載加筆記事です

春日山部屋騒動の発端

※現在の春日山親方は22代、元前頭の翔天狼(借株)で、名跡保有者は勢です。この2人は春日山部屋騒動には何のかかわりもありません。

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さて、春日山部屋消滅騒動の発端は2012年にさかのぼります。

2012年1月、20代春日山親方は協会理事の仕事と部屋での弟子の指導の両立が難しいとして師匠を退いて年寄 雷を襲名します。

20代春日山

この方が20代春日山の元幕内 春日富士(本名 岩永祥紀)です。元幕内の春日王を育てた方です。

そして一門の追手風部屋に所属していた元幕内の濱錦が2月に引退して21代春日山親方を襲名することになりました

師匠と理事の両立ができませんと言っていた20代春日山の雷親方は、協会事務員の女性と入ったラブホテル代をちゃっかり経費として請求していたことが発覚。

この責任をとって同年9月に『一身上の都合』で退職して「元親方だった岩永さん」になります。

部屋の運営を託された21代春日山親方、これが春日山部屋騒動のもう一人の中心人物である親方ですが、無条件で部屋もち親方になれるほどの成績を残せていたわけではありません。

幕下60枚目付出しでデビューしましたが幕内で相撲をとっていたのは2001年5月から2002年7月の7場所のみ。土俵人生の多くを幕下で送りました。

つまり、ぶっちゃけお金がない状態で多くの弟子衆を抱えることになったわけです。

21代春日山

引退と同時に弟子衆を抱えることになっても自前の部屋を建てられるわけもないので、21代春日山さんは20代春日山さんの自宅兼稽古場を間借りする形で部屋の運営をしていました。

一体誰が悪いんだ?

元濱錦率いる春日山部屋がスタートして約1年少々経った2013年10月、がぜん雲行きが怪しくなってきます。協会がこの年の12月を期限に親方衆に年寄名跡証書の提出を求めたのです。

21代春日山さんは先代から年寄名跡を渡されないまま先代が所有する部屋の施設を借りて弟子衆の指導をしていました。

ところがこの賃料が未払いになっているとして20代春日山の岩永氏が訴えを起こしたわけです。
「お前、稽古場の家賃も払わずに居座りやがって出て行け!訴えてやる!」

一方の21代春日山さんは賃料が値上げされていることを知らなかったと釈明した上で、名跡証書を未だに引き渡してもらってないので訴訟を起こす考えを明らかにしました。
「ボクが春日山なのに名跡証書渡してくれないなら証書の引渡しを求めて先代を訴えます!」

かくして20代と21代春日山による裁判合戦が開始されます。

20代春日山側の訴えは21代春日山が現在の稽古場を明け渡し未払いの賃料1740万円を支払うことで一応の合意を見せました。

しかし、21代が起こした裁判で20代側が提出した書面に書かれていたことは「春日山の名跡を含めた部屋の資産価値は1億8000万円くらいです。それを払ってもらえないと名跡証書は渡せません!」

もう大紛糾。

2016年8月2日、20代側が起こした裁判の判決が出ました。

「資産価値は1億8000万円を下ることはないので、これまでに弁済された840万円を差っ引いた1億7160万円を20代春日山に支払わないと年寄名跡の引渡しは認められません」

21代春日山、これを不服として控訴するも、これまでの経緯を見てきた相撲協会は「名跡証書も出せないし、聞く所によると今年の9月場所は一度も稽古場に顔を出してないって言うじゃない。そんなんじゃ師匠として部屋を任せられないから親方業を辞めてくれる?」

…21代春日山、万事休す。裁判で疲れ果ててしまったのか、「分かりました。辞めます」と師匠の務めを泣く泣く放棄するに至った、というわけです。

弟子衆の集団引退そして

突然指導する親方を失った春日山部屋は閉鎖されてしまいました。弟子衆は一門の追手風部屋に春日山部屋再興までの預かりの形になりました。

しかし、師匠が不適任なんてことはない!こんな処遇には納得できません!と弟子衆の半分近くが一挙に引退届けを出す騒動が勃発。協会は引退届けを受理せず預かりの形で留め置きましたが、弟子衆の決意は固く、弟子の半数近くが引退してしまいました。

【追記】

引退していった力士の一人、弓取りをやっていた水口の近況です。元気そうですね!

21代春日山親方は責任とって相撲の世界から身を引くものと思われましたが、追手風部屋付の親方として残った弟子衆の指導を続けることに一度はなりました。

しかし名跡の引渡しをめぐっての和解協議が翌年の1月16日に決裂。名跡を提出できないことが確実となった21代春日山さんは相撲協会に年寄の辞任を申し入れ、受理されました。

21代春日山さんが協会を去ったことで、春日山部屋からの預かりとなっていた弟子衆と裏方さん合わせて14名は、預け先の追手風部屋付の親方だった中川親方が分家独立して連れて出て、新生中川部屋が誕生しました。

中川親方が独立したわけ

この中川部屋は、部屋の名称こそ中川部屋ですが実質は春日山部屋の再興です。

追手風部屋の部屋付をしていた中川親方が独立した背景には、20代春日山の岩永氏が中山親方にとって一門の同期という大事な仲間だったという事情があります。中川親方は「祥紀(岩永氏)の部屋じゃなかったら引き受け手はなかったと思う」と話していたそうです。

現役時代の人間関係がモノを言った形といえましょう。

春日山訴訟合戦の終焉

新生中川部屋は誕生しましたが、20代と21代の間で起こされていた控訴審はまだ継続していました。

21代春日山さんは角界を去りましたから名跡証書の引渡しを求めない、20代春日山さん側は21代春日山さんに名跡証書の対価を求めないとして双方が訴えを取り下げました。

そしてこの数日後にかねてから病床にあった20代春日山さんが逝去したのでありました。

不毛と言えば不毛なお家騒動。お金が絡むからこうなってしまうのですが、絡めざるを得ない事情もあり、難しいところです。

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