台風19号の被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます

御嶽海の言う大卒が大相撲を引っ張る時代を心待ちにできない理由

三賞 相撲好きの独り言

最近の関取衆を見渡してみると大卒の力士が多くなりました。大相撲の世界に身を投じるといえば中学の卒業式を終えたら夜汽車に揺られて上京し…というのが定型だった時代は遠い昔のことです。

現在の大卒力士で一番先頭を走っていると思しき御嶽海は、とあるインタビューで「これからは大卒が引っ張る時代になると思う」と発言しました。『大卒は横綱になれない』と言うジンクスを俺らの時代で覆してやる!という意気込みが感じられます。

これはこれで頼もしく感じますが、一方で大卒力士が増えることで懸念されることもあったりして…。

大卒とたたき上げ

大卒と一口に言っても、そこには序ノ口から土俵にあがった人と学生時代の成績によりいきなり幕下から相撲を取り始める付出しの2つのタイプがあります。共通するのは序ノ口からでも付出しからでもほとんどが大学時代に相撲部にいた相撲経験者ということ。

大卒力士の対語になるのは「たたき上げ力士」ですが、もっぱら中卒で角界に飛び込んできた人を指すことが多く、中卒の中でも相撲未経験で飛び込んできた人は生粋のたたき上げです。

御嶽海と錦木

御嶽海と錦木の取組です。

御嶽海は学生横綱のタイトルを引っさげて幕下10枚目格付出しでデビューし、あっという間に三役に上ったエリートですが、対する錦木は中卒未経験で伊勢ノ海部屋に入り、関取になるまでに50場所かかりました。この一番は対極スタートを切った人たちの相撲です。

たたき上げは背中を見て育つ

相撲の世界には「ちゃんこの味が染みた」という褒め言葉があります。相撲部屋には師匠ごとのカラーがあるため、長く力士をやっていると取り口や立ち振る舞いに部屋の色がにじみ出てくるようになります。

スーパーたたき上げの錦木は部屋頭として若い衆の面倒をよく見ています。所属している伊勢ノ海部屋は歴史の長い老舗部屋です。28年の人生の半分近くを土俵で過ごしている錦木はまさにちゃんこの味が染みた力士と言えるでしょう。

長い下積みを経て関取になった人たちは、兄弟子たちや付け人についた関取の背中を見て相撲のしきたりや礼儀などを学んでいきます。

大銀杏が結えない人は相手が弟弟子であっても関取には敬語を使い、番付を追い越した弟弟子は兄弟子に敬意を払う。お互いが支えあって今があることを態度で示す。これが脈々と続いてきた伝統です。

そうやって育ってきた力士には『お相撲さん』然としたたたずまいが自然と身についていきます。

古い相撲ファンはこうした相撲世界のあり方にしびれるような魅力を感じます。

師匠にとってのたたき上げと大卒

昨年、旧貴乃花部屋の力士を引き受けて突然弟子の数が倍になった時に、千賀ノ浦親方が墨痕あざやかにしためた『どの子も我が子』という書が話題になりました。

師匠と弟子は親子同然と言われますから、これは千賀ノ浦さんに限らずどの師匠も同じだろうと思います。

ただ、師匠方の本音としては、中卒で入ってきた子が苦労しながらも出世した時が一番感慨深いものだそうです。錣山部屋の彩が12年かかって十両昇進を確実にしたとき、「自分が見てると負けるから」と取組を直接見ずにいた師匠は思わず大きくガッツポーズして涙を流してました。

中卒たたき上げの対極にある大卒付出しの力士は、関取になるのはあたりまえとして入門し、下積みをほとんどせずに関取に上ります。言葉は悪いですが、彼らは大相撲のチートです。

もちろん師匠にとっては同じ弟子ですから可愛いでしょうが、長年そばにおいて少しずつ成長していくのを見守った弟子と、ある程度育った状態で手元にやってきた弟子とでは愛着のようなものに差が生まれるのは仕方のないところかも知れません。

大卒が増えると伝統が崩壊する?

ある親方が大卒力士衆について嘆いていたことがあります。

「大卒はいつまでも学生気分が抜けない。」

みんながみんなこうだということではないでしょうが、確かに大卒力士は大卒同士でつるんでいることが多いです。同じ大学同士とか同じ学年同士とか。

個人戦より団体戦が好きだったというある関取は今でも団体戦をやりたいと言ってるくらいですから、4年の歳月をともに闘うことに費やした彼らにとって、同じ感覚を共有できる仲間は換え難いものなのかも知れません。

仲がいいのは悪いことではないとは思います。ただ、兄弟子であってもツレ感覚で平気でちょっかいかけている様子は、ひと昔ふた昔前だったら張り倒されるところだぞ…と背中がヒヤっとします(苦笑)

大卒付出しの力士は付け人の経験をしないまま関取になることが少なくありません。彼らはちゃんこの味が染みるどころかさっと煮で大銀杏を頭に載せて土俵に上ります。角界のしきたりや礼儀に馴染む前に力士衆を束ねる部屋頭になる人もいます。

関取になれないまま長く土俵生活を送っている人たちは『相撲は番付至上主義』ということが染み付いていますから、弟弟子であっても関取に対して強く意見することがありません。

大卒力士の土俵人生は10年前後と短いです。関取になると部屋の個室ではなく自分で部屋借りて出て行く人もいる中で、入門して1年も待たずに関取になり、大卒の関取同士でつるんでいる彼らには誰がしきたりや礼儀をしっかり教えるんだろう。

入門後、もたもたせずに番付を上げていく彼らはわくわくする魅力に溢れています。しかし、幕下以下から仰ぎ見られる存在が相撲の伝統を身につけてない人で埋められてしまうとしたら、それはそれで今まで愛してきた「相撲」が失われてしまうようで悲しいと思ってしまうのですが。

コメント