平成最後の初場所は1月13日が初日です

元横綱若乃花(元 間垣親方)は伝説的イケメンだったのに現在は閲覧注意級の悲しさ?

推し力士への差し入れに!印象に残りまくりです

若乃花 不祥事・ごたごた

角界のイケメンと言えば現役なら遠藤か朝乃山か、親方衆であれば元寺尾の錣山親方か元旭豊の立浪親方かというあたりをまず思い出しますが、元間垣親方の56代横綱の二代若乃花の現役時代も相当なものでした。

横綱引退後は年寄間垣を襲名して部屋持ち親方として頑張っていたのですが、病に倒れて車椅子の生活になります。そして、なんともすっきりしない形で定年を待たずに相撲協会を去ったのですが、その後の姿が悲しすぎます…。



抽選で間接キスをプレゼント

若乃花と聞くと『おにいちゃん』の三代若乃花か土俵の鬼と恐れられた初代若乃花を連想することが多く、北の湖全盛時代に重なったことで横綱として目を見張るものがなかった二代若乃花は横綱としてはやや地味な存在と言えるかも知れません。

しかし、色白で整った顔立ちで女性人気に火がつき、取組中なぞジャニーズのコンサートかと思うほどきゃーきゃーと黄色い悲鳴が上がっていました。それを思うといまどきの相撲ファンの女性はずいぶんお行儀がいいよなと思います。

若三杉

大関に昇進した時の二代若乃花。当時はまだ若三杉の四股名でした。どうでもいいけど、四股名札が豪華ですな。右隣はこの前角界を去った貴乃花さんのパパ、幕内の札の左は先代の鳴戸親方、稀勢の里や高安の師匠です。

二代若乃花の人気がもっとも高かったのは、横綱昇進前後の頃だったと思います

若乃花

ある番組にゲストとして横綱に昇進したばかりの二代若乃花が呼ばれていて、視聴者の中から抽選で1名、電話で若乃花と話ができるんですよー!という企画をやっていたことがあります。

当選した女性と若乃花は電話越しに緊張しつつ当たり障りない話をしていたのですが、司会者が「では最後に横綱に言って欲しいことをお伺いしましょう」と水を向けると、電話の向こうの女性が言ったことがすごい。

「何も言わなくていいですから、受話器に唇を当ててください」

若乃花、照れながらそっと受話器に唇を押し当て、静かに企画は終了。電話の向こうの女性がどれほどうっとりした顔で受話器に唇を当てていたかと思うと…子どもながらに引きました(苦笑)

波乱万丈すぎて息切れしそう

二代若乃花は横綱に昇進して以降、波乱万丈としかいえない荒波にもまれています。

相次ぐ病気とケガで二代若乃花は横綱としては決して華々しい活躍とは言いがたかったように思います。1983年1月場所を最後に29歳9ヶ月の若さで土俵を去り、年寄 18代間垣を襲名しました。

実は、二代若乃花の師匠の初代若乃花は、若三杉を娘婿として迎えて二子山部屋を継がせるつもりで若三杉の横綱昇進に伴って若乃花の四股名を与えました。

しかし、その頃二代若乃花には交際していた水商売の女性がいました

二代若乃花は好きな女性がいるので縁談を断りたかったのですが、親方に無理やり結婚させられてしまいます。鬼と呼ばれた初代若乃花の二子山さんは稽古がキビシイだけでなく大変にワンマンな人だったようです。

渋々結婚した二代若乃花は交際していた女性とは別れず、結局1年ほどで離婚。当時の週刊誌によると、結婚したものの夫婦生活はまったくなかったということでした。

そういったゴタゴタのせいで、師匠の二子山親方(初代若乃花)は二代若乃花の引退後の年寄名跡を用意していませんでした。

そのため二代若乃花はすでに17代間垣として弟子衆の指導にあたっていた元関脇・荒勢から年寄名跡を譲り受けて18代間垣を襲名し、二子山部屋から独立して間垣部屋を興したというややこしいいきさつがあります。

間垣を襲名してからも再婚した女性(結婚前から付き合っていた女性)が2005年に亡くなる悲劇に見舞われます。

その寂しさを紛らわすために深酒をした結果、自身も2007年に脳出血で倒れ、車椅子の生活に。その後も行き過ぎた指導の暴力事件やら弟子の不祥事やらいろいろありました。

間垣親方は不自由な身体では満足な指導もできず、弟子衆の数も少なかったため部屋の経営に行き詰まります。

2013年3月限りで部屋を閉鎖して、弟子衆とともに伊勢ヶ浜部屋に移籍。その時つれていた弟子の一人が照ノ富士です。

最後にはちゃんこの材料にも事欠いて近くの部屋に食材を借りるほど困窮していたと言われた間垣部屋ですが、その頃のことを照ノ富士が幕下に陥落するまで付け人をしていた兄弟子の駿馬さんは「とにかく大変だった。ちゃんこに肉を使うなんて考えられなかった」と述懐していました。

体が資本のお相撲さんが肉も食べられないなんて もう泣いちゃうよ。



間垣親方はなぜ定年前に協会を去ったのか

相撲協会の定年は65歳ですが、間垣親方は定年まで5年も残して協会を去りました。というか、去らざるを得なくなりました

2013年12月、年寄名跡を協会が一括管理することになり、名跡証書の提出を各親方衆に求めましたが、間垣の名跡証書はその時当時まだばりばり現役だった時天空の手元にありました。

ところが時天空と間垣親方の間で証書のやりとりがうまくいかなかったために期日までに証書を提出できず、間垣さんは親方として協会に残れなくなってしまったのです。

現役の親方が自分の年寄名跡証書を他人に渡すなどあってはならないことです。どういう事情で時天空が証書を持っていたのかは明らかにされませんでしたが、時天空が提出を拒んだところをみると、名跡証書をめぐってお金の貸し借りがあったのかもしれないなと思います。

結局間垣親方は退職という形で相撲協会を去ることになったのですが、弟子衆の不祥事の対応などでそれって親方としてどうなの?という態度が目に付いていたこともあり、協会内に引き止める人はほとんどいなかったということです。


現在の元間垣親方はもう…(涙)

かつて間接キスを求められるほどの男前ぶりだった間垣親方、協会を去ってからの消息はほとんど伝わってきません。しかし、相撲とは無関係の集まりなどにはたまに顔を出したりもしているようです。

…が、寂しい。さびしすぎる(涙)

間垣

脳出血の後遺症で麻痺があり、言葉も不明瞭になってしまった間垣親方ではありますが、病のためとは言え すっかりおじいちゃんです(涙)あんなにイケメンだったのに…

親方時代に身の回りの世話をしていた弟子が今も生活の手助けをしているということですが、伸びきったカーディガンの袖口を見るに 決して生活は楽ではなさそうに感じます。

ひっそりと退職後の生活を送っている元二代若乃花。親友だった元横綱隆の里の鳴戸親方や北の湖理事長、元横綱輪島など、同じ時代に土俵にあがった人たちが相次いでなくなり寂しい思いをしていることでしょう。

どうかお体に気をつけて お大事に。



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